朱鷺たたら 〜Toki Tatara〜 Official Web Site
の音色と優美なひと時を…

丸かじりの悲劇 如月編

イトー○ーカドーへ行くと、恵方巻きなるものがずらりと並んでいて、
一体なんや・・と思ったら節分だった。節分といえば「太巻きのまるかじり」。
でもこの風習は関西のはずだったが。

京都の我が家でも当然家族で丸かじりをする。
買ってくるのは父の役目だ。

 「あれー、短いな」
父の買ってきたものはひとつずつパックに入った太巻きだった。
長さは15センチ弱。ほんまやほんまや、と口々に文句をいうが

 「大っきかったら食べきれへんやん、全部食べなアカンからな」と言われて納得。
透明なプラスチック容器には店のロゴが印刷された紙がぐるりと巻かれ、
いつもの店のんとちゃうー!
という私たちに、どんな混んでるか、知らんやろーと一喝。

まあまあ気を取り直して、吉方位へ向いてかじろーという段になって、さて今年の吉方位はどこや?ということになった。
普通、店の紙に書いてあるやろと見るが、住所くらいしか載ってへん。
なんやこの店は!全然あかんやん、売れへんはずや!とかだんだんテンションが上がってくる。
おばあちゃんに聞いてもわからへんし、もうしゃあない、全部の方角向いて食べたらええのやということになった。

掘り炬燵に入った家族4人はとりあえず自分の向いている方角からはじめて、東西南北ほんでその間、
全部で8口でもって食べたらええんちゃう?頭ええわーと浮かれ気味だった。

京都はその点、方角がわかりやすいし、有難い。
私の定席は東向き、ちょうど比叡山を望む位置だ。
父は西にご近所の金閣寺を、母は南に京都駅を、弟は北山を望む。
「ほなかじろかじろー」やっと食べれるわ〜とパックの紙を外した。
意気揚揚と顔を輝かせる我々の動きが止まった。
その太巻きは、切れていた。

ご丁寧に食べやすいように一口大に切ってあるやないの・・・
一体どういうことや。
どないして丸かじりせえ言うねん!
そもそも吉方位も書いてへんし、終わってるで。
しかも大体やな、なんでちゃんと見て買ってこおへんの?

なんや縁起のようない節分であった。
東京の家庭でもこのような悲劇が起こらないように、切れてないか覗き込む私であった。


2004年 裏表のない人 睦月編


正月は沖縄で過ごした。

今日はぶらりと散策に出かけた。バスに乗ろうとするが案内板を見てもまるっきりわからない。
地元んちゅもわからないらしいからヤマトンチュにはほぼ解読不能と諦めた。
で、来たバスに乗って、終点まで行くことにした。
乗客は一人二人と降りていって、やがて私だけになり、海沿いに小さな村落を抜けて行く。
赤瓦の屋根にシーサーがのっかって、幾年もの海風に身をさらした姿をみせている。終点は屋慶名バスターミナルだった。

終点やしチャイム鳴らさんでもええやろ、と思ってたら車庫に入ってしまった。慌てて運転席まで行ったら
「なに、いたね!?」と驚かれ、矢継ぎ早に質問にあった。
「この辺りなにもないけど、何、どこ行くの?」
「・・・わかりません」(大丈夫か?!)
「どうしたね?この辺りに住んでるの?」
「いえ、観光客です。旅してます、沖縄が好きなんです」
「じゃあ、住めばいいさ!で、独りで来たの、学生さん?」
「いえ、もう30超えてます」
「・・・一体どうしたの?」
「・・いえその、どうもしないんですが」
なんやかやとやりとりがあり、運賃はええからええからと運賃箱に手で蓋をしてしまいはり、内緒ねーと口に指を立てた。
(あ、言っちゃった)観光客がくるようなところではなく、ほんまになんにもないところだったので、
傷心旅行にでも見えたんかなあ、と思いながらも運転手さんとの会話を楽しんだ。
途中の通過駅に城址があり、そこへ行くといいさと勧められ、言われるままに帰りのバスを待っていると、
先ほどの運転手さんが戻ってきた。

次のバスまで少し間があるからその間におもしろい植物を見せてあげようという。
すたすたと林の方へ歩いていくのを足早に追う。そしてある木から一枚の葉を採ってよこした。
「この葉をあなたの好きな人に、私はこういう者です、といって渡すんだよ〜」という。
なんかええ香りでもすんかいな・・と鼻を近づけていると、みでごらんといって葉を裏返す。
その葉には裏も表もなかった。鬼瓦のような運転手さんの日に焼けた顔に、薄い茶色の目が優しく微笑んでいた。
私はそれを大事にしまって二度と訪れないだろう屋慶名を後にした。

帰路、案内された勝連城址に寄り、日の入りを眺めた。風景の美しさは、人の心の美しさに触れて何倍にもなり、
私の心を震わせてくれた。沖縄の風、お届けします。


魔笛 葉月編

能管とは能楽で使われる唯一の旋律楽器である。
能の舞台では何百年も前に亡くなった人が出てきて、平気で現世の人と会話を交わす。
笛はこういったときに、あちらの世界とこちらの世界を繋ぐような役割を持っている。

だからか、この笛は怖い。
もう慣れてしまって自分ではちっとも怖くはないのだが、どうやら怖いらしい。

先日、千葉でのコンサートでの能管のソロの時。古典「獅子」を吹いたら、子供さんが泣き出してしまった。
「怖いよ〜!」と泣き喚く子をあやしながら、あかあさんが席を立っていくのを舞台から見送る。
(帰ってきてくれはらなんだ・・)
主演の和太鼓奏者・大多和正樹さんは舞台袖で、笑っていた。
そんなこといいながら彼も怖いらしい。
ゾッとするというのだ。

はじめてこういう経験をしたのは2年前のこと。
それは(なぜかまた千葉)森でのコンサートのこと。
ある小学校の裏に地域住民で管理する森がある。
小さいながらも森というだけあって、一歩なかに足を踏み入れると静けさが漂っている。
鳥の声が木々にこだまして、落ち葉を踏む足はふっさりと柔らかく包まれる。
笛の音はまるで音響設備の整ったホールのように適度な残響を抱きながら、遠くからでもロウロウと響く。
絶妙な響きをもつ森なのだった。
そこで、小学校の全校生徒が森の清掃をやって、そのあと観察員のおじさんのお話を聞き、そして笛も聴こうという企画であった。

その日は朝から晴れて、暖かないい天気に恵まれた。
全校生徒500人が森にちらばってせっせとごみを拾う。
やがて集合がかけられ、体育座りでお話を聞こうというころになった。
そこで司会(友人)が段取りを間違えて、先に笛を紹介してしまった。
後ろで待機していた私はいきなり呼ばれて、森の奥から演奏しながらヌッと登場する羽目になってしまった。
このときも曲目は「獅子」。

はじめに激しいヒシギ(笛の最高音・ヒー!!)から拍子のないあおるような不思議な旋律が続く。
明るかった空がにわかに曇り、風が起こった。
その頃、私の前髪は後ろと同じ長さあり、腰まで垂れている。
森は急に暗くなり、その中で紫の着物の袂と長髪が突然の強風にバッサバッサと揺れていた。
絵的にまずいな・・と思い始めたその時、

「・・・怖いよう」
一年生の辺りからかすかに声が洩れはじめ、やがてどんどん伝染していった。
あっというまに1,2年生が怖いよう〜と泣き始めてしまっていた。

な、なんという・・!
まずい、どないしょ。

でもこれからこの曲どんどん激しさを増すのだ。
能楽では最初ゆっくりもったりと始まって、終わるんかいなこの曲ぐらい想わせる。
どこか不気味で、特徴のある旋律が何度も何度も繰り返される。
その繰り返しがだんだん螺旋を描いて、ある時を堺に急に勢いを増し、曲の終盤は強力な疾走感に満ちて終わるものがよくある。
その構造を「序破急」と呼ぶ。
おもしろいことにこれは居合でもよく言われた。
日本人に気持ちのいい、あるテンポ感覚なのかもしれない。

「獅子」はその能管の曲のなかでも一番の大事とされる大曲で、
曲想もかなりしっかりと聴かせるものがあり、おもしろい。
そして激しく、能管ならではの鋭さ・力強さ・不気味さを遺憾なく発揮できる曲なのだった。
これを優しく吹こうものなら
「何それ、ネコ?」と師匠に一喝されてしまう・・・

そうはいっても泣いている。
精一杯、怖くないようオーラを送ろうと、子供達の方を優しい瞳で眺めたら、

「眼が光ってる〜〜」
絶叫されてしまった。

・・・私か!?
事態はもっとひどいことになってしまった。
諦めた私はどんだけ泣かすかに意識を切り替えて、稀にみる壮絶な演奏になったのであった。

幻の聖獣「獅子」が舞い終わると司会が飛び出してきた。
「はいはい〜〜みなさん、大丈夫ですよ!!朱鷺さん、怖くないですからね!」
・・・こ、こやつ(S山くん)!

不思議なもので笛を吹くと、タイミングよく自然現象が起こることがよくある。
圧倒的に能管を吹いている際に多い。
ヒーとヒシギ一発に合わせて、ドッカンと震度4の地震がきたこともあった。
吹いてる本人は気付かないものだから、なんでお客さんがざわめいているのか・・と思いながら吹き終わり、
「さすがプロね、なにがあっても動じないで吹ききるんですね」とか言われてみたりする。


演奏中にゴキブリが飛んできたこともあった。
この時は吹きながら逃げた。
移動不可能なピアニストが取り残されて、怒っていた。

フランスではとある小さな町の石造りの教会に入り込んで、鼓の方とマネージャーのいるところで、
「これから悪魔を降ろします」と厳かに宣言し、能管を吹いた途端、
にわかに空が影ってステンドグラスから光が入らなくなり、がらんとだだっぴろい教会が真っ暗になった。
すぐ横の彼女達の顔に黒いカーテンが降りたように、見えなくなってしまったのだ。
きゃっ・・・と二人が悲鳴をあげた。

私はゾオッ、として
「祓います!」
そして一発ヒー!!

ぱあっと空が晴れた。
無言で教会を出ると何事もない、昼下がりの田舎町ののどかな風景があった。
3人とも何も言わなかった。

やはり、怖いですねー・・・
遊んじゃいけません。


2003年 恐竜の出る駅 文月編〜

 はじめたばかりのバイトで出張に行った。行き先は御宿。
「月の砂漠」で有名な美しい砂浜を誇るリゾート地だ。
折りしも季節は夏。快く引き受けて、いざ出発。
東京駅からJR外房線特急「わかしお号」で一時間半。ちょっとした小旅行気分である。
仕事はいたって楽なものだった。動物病院で飼い主さんにペットフードのサンプルを配り、
アンケートに答えてもらうというもので、皆気軽に応じてくれた。
午前の診察が終わると夕方まで長い休憩に入る。車がなければどうしようもない所で、
どうやって時間を潰そうかと考えていると、獣医先生がビデオを手に現れた。
留守を預かり、誰もいなくなった病院で先生お勧めの「ジェラシックパーク」を観る。
悔しいほど効果的に、入院中の動物だろう、時々奥のほうから人外の声が響く。
(犬の声やんな・・・?)
観るのは二回目だったはずが、見事なまでの臨場感のせいか物凄く怖い。
その夜は「行川アイランド」に泊ることになっていた。動物と自然のレジャーパークである。
楽しそうである。同じ名前の駅から「徒歩5分」のアイランド内に建つホテルなのだそうだ。
つまりタダでは入れるってことやな。
いよいよ楽しそうである。
午後9時半、二両連結の列車はどんどん山の手へ向かう。
御宿から駅4つとはいえ乗って30分、見渡す限りの山中だ。
「駅に?コンビニどころか何もないよ。なんであんなとこに泊るの?」
獣医先生の言葉が蘇り、急に不安になってくる。
途中から単線になったその駅では、降り立った数人全員に迎えの車がきていた。
一台に駆け寄ってホテルの場所を尋ねると、坂下のトンネルを抜けて行くのだという。
ひょっとして乗せてくれるかもという甘い期待を裏切り車は去った。
真っ暗な山中にひとりきり、スーツ姿でとぼとぼと歩きはじめたその時、
眼前の暗闇にぬぼーっと背の高い桃色のものが浮かんでいるのに気付いた。
巨大なフラミンゴであった。10メートルはあろうかというそれらは一列に並んで
沈黙のなか私を見下ろしていた。
作り物にせよ、ほとんど恐竜だ。
(なんでこないな目にばっかり遭うんや)
*お稲荷さん事件参照「笛吹き道中記〜2001年皐月編〜」
私の叫びをあざ笑うかのように、やがてさらに暗く漆黒の穴が、
ぽっかりと口をあけて待ち受けていた。
先ほど案内されたトンネルだ。ひとつの電球も灯っていない。
どこまで続くかもわからない。
「徒歩5分」にしてはあまりにも過酷すぎるんちゃう・・?
ついに足が止まった。トンネルを恐る恐る覗き込んで、一歩も進めなくなってしまった。
否応なく昼間の映画が思い出される。爬虫類独特の白目勝ちの眼が
あちらこちらから私を伺い、今しも耳元には大型肉食獣の息遣いを感じるような気さえする。
なんの鳥だろうか、キエーーッという声が闇を引き裂いた途端、私は
どぎつい桃色の物どもの脇を駅へとまっしぐらに走っていた。
ぐったりしてホテルからの迎えの車に揺られる。シマウマ模様のジープは月影に
蒼く輝く紫陽花の道を進む。
20分はかかる道程であった。
翌朝は快晴。恐竜の影はもうどこにもない。眼下に広がるのは夏の海。
昨夜の救い主である運転手さんが再び駅まで送ってくれた。道はアシカの泳ぐ池の脇を抜ける。
あのまま歩いていたら完全にアウトやったやろう。暗闇にアシカの鳴き声を
それとわかるはずもない。
また少し疲れを覚えはじめた私の目に、美しくペイントされたフラミンゴのモニュメントが
朝日に輝いていた。
ここはピンクフラミンゴの天国、「行川アイランド」なのだ。
左手に山を、右手に海をみせて外房線はひた走る。緑は深々と色味を呈し、
光を放つ海があった。
学生たちの笑い声が溢れる車窓いっぱいの潮風に髪をくちゃくちゃにさせながら、
いつしか私はくすくす笑い出していた。(終)


2003年卯月(4月)〜

四月初旬沖縄へ旅立った。
ガイドブックによるとあちらはもうかなり暑いらしい。日焼け止めを買っていこうと近所のコンビにに寄るも、
まだひとつも並んでいない。ここの店長は一見普通のおじさんだが、実のところ随分と私の気に障るのだ。
それは弁当を買うときのことだ。
「あっ・・・ためますかあ?!」
レジに置かれた弁当に鋭く一瞥をくれて、下から上へとねめつけるようにこちらを見上げてくる。
しかもかなり至近距離だ。
その物言いはまるで、
(ええーーっ!あっためるのかよ、まじで?ウッソー)とでも言わんばかり。
「アカンのかいな」と言いたくなるのをぐっと堪えて
「あっためます(誰がなんと言おうとここで暖めて帰るんや)!」
語気も強く言い放つ。
どうでもいいがほんまに気に障るのである。
私たちは週に数回こんなやりとりを交わしている。
 
さて、一週間の旅の大きな目的はダイビングであった。
はじめてのダイビングは期待をはるかに超える素晴らしさで私はすっかり虜になってしまったのである。
黄や青や縞の小さな魚たちが深いブルーの世界にちりばめられている。
陽の射し込む暖かなさんご礁をぬけると、突然足元がなくなった。
さんご礁が終わり、底の知れない切り立つ絶壁の上空に浮かんでいた。産毛がぞわりと立つ。
(なめたらアカンで)海がいっていた。
 
滞在した民宿はインストラクターのご家族で経営している。
私が民謡好きだと聞くと親戚のおじさんたちが三線片手にやってきてくれる。
はじめてのオリジナルCD『彼は誰れ』(買ってね!)の完成を沖縄で見たのだが、それを知るやいなや万歳三唱、
続いて「めでたい節」を唄ってくれた。三線の伴奏で宿の大将が唄い、おかみさんの優美なカチャーシーが加わる。
暮らしのなかの喜びや悲しみといったさまざまな感情に寄り添うように唄や踊りが息づいていた。
この地に生きる人々に共通の唄。
京都生まれ育ちで地に根付いた唄があるかと問われれば、ない。
今日にはじまった問いではないが、やはり淋しい思いがした。
お礼に笛を吹かせてもらう。陽に焼けた子供たちが目を輝かせて聴き入る。皆が喜んでくれて、笛を吹いてて良かったなあと
心の底から思えるひと時だ。
 
「あ〜春だねえ〜」 インストラクターのお兄さんが真っ黒に焼けた顔で見上げる空は、私にとっては真夏だ。
最初にあったときあまりの黒さにびくっとすると、
「よく焼けてるでしょ〜?でもね、今が一番色白なんですよ〜」
笑うと白い歯がこぼれた。
道路を時折大きな影がさっとよぎる。上空に流される雲の影がくっきりと地上に映っているのだった。
そしてコンビには日焼け止めが所狭しと並んでいる。
沖縄の春だ。
 
涙を流した辛い別れのあと、羽田の帰着する。モノレール沿いは満開の桜だ。
駅からの急な坂道を遊び疲れた体を運びあげる。
実に気に障るコンビニが明るく輝いて私を待っている。
「あっためますかあ?!」
「あっためます!」
ひとしきりいつものやりとりを終えて旅が幕を閉じた。(終)


2002年霜月編(11月)

筑紫哲也のニュース23が終わって、そろそろ寝ようかと腰を上げたその時、ふと何か異質な物音を耳にした。
部屋のどこにも普段と違った様子はなく、外も静かだ。住宅街にあるこの家の辺りは、車の通りも少なく、
夜10時をまわるとほとんど人通りもなく静まりかえる。私は素早くテレビを消すと、耳を澄ました。
すうー・・・くくくっ 
すうー・・・くくくっ
(・・・外の音やない、内や。)
すぐ耳元で誰かが呼吸を繰り返しているように聞こえる。
「うそやろ・・」
襖をとっぱらってワンルームにした部屋のどこにも人影はなく、また潜めるような場所もない。
それでも規則正しく繰り返される呼吸音は、私のすぐ近くでしているのだ。自分の息の音かもしれへんと、しばし息を止める。
・・・・・すうーー・・・くくくっ
アカン!誰やー!?そうか、オウシキか。
彼(オウシキ)は我が家の同居人の正式名称を「ゴールデンアルジェリアスキンク」というトカゲだ。
60センチ水槽が彼のテリトリーである。トカゲにもいろいろあって、イグアナのような体色が緑色のものは、
特に太陽の光を必要とする。太陽光によって体内に必要な栄養素を作り出すためだ。
それだから、木の上の方へと行く習性があるので、脱走しても上方を探せばよい。
それに対してオウシキのような土の下へ潜るタイプがある。太陽光はやはり必要なので特別なライトを当ててやっている。
それでも土の中へと潜っていることがほとんどだ。しかし、土の下での動きが表面に実に美しい軌跡を残すのである。
オウシキの寝息に違いない。確信をもって私は土の下を探った。突然起こされても無表情な彼と、私はしばし見つめ合った。
そして寝息の主は彼ではないという事実にも直面した。
やがて、ようやく音の出何処がわかってきた。水槽の裏、炊事場との間の幅50センチほどの狭いスペースからだ。
何かが、絶対にそこに居る。
覚悟を決めた。私は足音を偲ばせて部屋の隅に安置してある日本刀を手に近づいていった。
久しぶりに抜く刀は両手にずしりと重い。技に「介錯」というものがある。
切腹する相手に介錯つかまつる、アレだ。辞世の句を詠み、精神統一する相手の気を乱さぬように、
静かに静かに、相手の死界で抜刀する。その作法の間にも息音はあくまでも規則正しい。
自分の鼓動音がやけに大きい。一体いつからそこに潜んでたんや。ほんまに誰や?
人間か?妖怪か?・・・それとも幻聴か?実はついに逝ってしまってるんか、私は。
ーそこに居たものは、白いチューリップ柄の魔法瓶だった。
先ほど熱いお湯をいっぱいいっぱい入れておいた魔法瓶の口から、
すうー・・・くくくっ
すうー・・・くくくっ
蒸気が漏れている。そしてあくまでも規則正しい・・・。
気が付くと日付が変わっていた。こうして私の秋の夜長が更けていく。


2002年睦月編(1月)〜タコ娘 後編

けたたましいブザーで客の入れ替えが始まり、私は乱暴に背中を押されてついに幕の内側へと足を踏み入れた。
斜面になった板場に100人ほどのお客が、すし詰め状態でいる。
果たして入り口すぐ脇に「タコ娘」が座っていた。
胸から下は箱に覆われ、足があるとおぼしき処には
綿のはみ出した薄汚いフェルト棒が幾本か転がっていた。(たまらんなあ)
いよいよ情けない顔のタコ親父を後目に、奥へ進んだその時、思わず息を呑んだ。
これが真打ちか・・。

そこにはよく肥えた老婆が一人座っていた。
汚れたよだれかけをかけたその顔は、醜悪なまでに厚く化粧が施され、憮然とした表情で机を前に座っている。

「さあさあ、これがサンカの娘ですよ!」

サンカ?あの山で暮らす技能集団?!
どこにも定住せず、自らの技術や芸能にのみ依ってたっていたという、あの流浪の民なのか?

私の動揺をよそに、えらく血色のいい好々爺のマイクレベルを振り切った口上が響きまくる。

「離れて離れて!!これから火を噴いてごらんにいれますよ」

老婆は蝋燭に火を点けると、それをべろべろ舐めだした。
細い蝋燭は次第に束ねられていって、やがて大きな炎となった。
「ふうう・・・」
やる気のまず感じられない溜息をついたかと思うと老婆はやにわにそれを頭上高く掲げ、熱く滾った蝋を口の中へ流し込んだ。
突然の激しい動きは一連のやる気のなさと相まって異常さを醸し出している。

ぶほおっ・・・!!
火を噴いた。
一瞬の後、老婆の口の周りは蝋でこてこてになっている。
よだれかけで何事もなかったようにふき取っているのだが、お客は流れについていけてない。
静まり返っている。

「さあさあ、誉めてやって頂戴よ!」

好々爺に拍手を促され、ほとんど操り人形のように拍手をする我々。

「次はね、山での暮らしをご覧にいれますよ。サンカの娘はね、山で暮らしておりますから火の通った物を食べないんです。
で、何を食べるかというと蛇なんです。これには脂肪が多くってね。これであんなにぶくぶく太るんです。
はい、これがほんとの脂肪太りーーーっ!」

あんなに火を使いまくったあとでよう言うわ、と突っ込みを入れられるようになったのは、
小屋を出た随分後のことである。
不名誉な紹介を受けた老婆は相変わらず誰もみていないかのような風情で
客にも好々爺にも一瞥もくれず、今度は蛇を取りだした。
が、これにはすでに頭がない。
それでも蝋燭の炎に尻尾を当てるとぐねぐねと動いている。
ふううっ・・・
(また溜息や)と思うと頭上高く蛇を掲げ、一気に喰いちぎった。
頭を左右に激しく振っては喰いちぎる様は、なんともいえないもの凄さである。
そうして口にくわえたまんま、尻尾の方からしごいて生き血をすすり上げ出した。
まことに運の悪いことに私はその時「チョコバナナクレープ」を手にしていた。
生ぬるーい生チョコクリームとバナナが口の中でなんか知らん凄いことになっていく。
老婆の喉が分厚い肉の下で上下にどくどく動いている。
やがて、子供が飽きたおもちゃにするように蛇を放りなげた。
(まだ残ってる・・・)
既に頭部を喰われた蛇だ。まだまだ活躍するんやろう。お互いに数奇な運命である。
お客はというと、凝視しっぱなしで、子供から大人まで一様に同じ顔して見つめている。
もう「タコ娘」なんか記憶の彼方である。

その後は人の良さそうなじいちゃんによるしけた手品がはじまった。
種もわからへんのに、こんなに不思議じゃない手品ははじめてだ。
途中だが表へ出た。待ちくたびれた友人の顔がどこか懐かしいほどに感じられる。
あれを観逃すとはなあーー!と興奮する私に

「母親から小さい頃に‘あんなもの見ちゃだめっ’て言われてたから」

中世の昔。どこにも管理されず、風の様に諸国を渡り歩いたサンカやクグツ、占朴師に白拍子達。
確かな技能・芸能を持った自由な流浪の民がいた。彼らはその末裔か。
「後継者不足です」と叫び続けた(それはそうやろう・・)彼らは皆もう70を越えている。
秩父鉄道に乗り込み、家路についた。
何千発もの花火が響いてくる。
見上げると、冬の夜空に大きな花が花開いた。    (完)


2001年師走編(12月)〜タコ娘 前編

12月3日、秩父夜祭りに出かけた。
都内から約2時間、電車は途中から単線になり、各駅で上下線の待ち合わせをしながらゆっくりと冬枯れの山間を行く。

秩父の祭り囃子はその太鼓の勇壮さで知られている。
灯りをともして山車が秩父神社を出発点 に町を練り、中央の公園に集まっていく。

さて目当ての囃子は山車の中にいて姿は見えず、こもった音色に笛なんぞはまったく 聞こえない。
それでも山車が方向を変える際の一段と調子が激しく高くなる所 はさすがに血がふつふつと湧く想いであった。

この囃子の笛の調子は1本調子といって、数ある篠笛のなかでもかなり低い音を持つものである。
太鼓ががんがんに囃す、それをまた「そらいけーー!」ってな感じで笛が囃すのだがそれにしてはずいぶんと低い。
全国の囃子のなかでも珍しい。音はくぐもるがそれでも囃す気持ちの表れとして、これぞまさしく「囃し」やなあと感じた。
平日というのに大変な人出で、結局山車に近づくことは諦めて中央公園に足を向けた。
そこはテキ屋さん大集合、威勢のいいかけ声が飛び交っている。

その一番奥で、 私の目に飛びこんできたのが「タコ娘」であった。

「なんてったって、腰から下がタコなんですから、歩こうとしたって歩けやしない!
右に歩けば右に傾き、左に歩けば左に傾き・・」

テンポよく口上がマイクレベルを振 り切っている。見せ物小屋だ。
看板の大きな布には日本髪を結った美しい娘がもの悲しげな表情でこちらを振り返っ ている。
見返り美人なのだがしかし、腰から下はタコだった。そのお隣にはこれまた 男前な「カニ男」が描かれている。
口上のすぐ脇に格子窓があって中の様子が伺えるようになっていた。

「はいじゃあ、見てもらいましょう!さ、タコ娘ですよー。出てらっしゃい!」

もうすっかりドキドキして見ているとその小さな窓に娘さんが顔を出した。
上から垂れているひもにつかまって(なにしろ腰から下はタコ)なよなよと出てきたのは日本髪を結った、
というか手作りかつらの、どこからどうみても親父、であった。

「おっちゃんやんー」と思わず声をあげたけど、口上は平気で「この娘さんは・・」
なんて言うのだし、その話術には“実は娘さんなんかいな”と思わせてしまう ほどの ものがあった。
情けない厚化粧のタコ親父の向こうにすでに中に入っている客も見える。
タコ親父の下半身(外の私には顔しか見えないけど絶対タコじゃない!!)を見てい る訳でもなく、 
けれども大入りの客がみな押し黙って形容しがたい表情を浮かべてな にかを凝視しているのである。

一体なにを見たらあんな顔をすんにゃろう。
またもやすっかりドキドキしてしまって600円の木戸銭を払って私は中へと 入っていったのだった。(後編へ続く)


2001年長月編(9月)

「地球の声が、聞こえますか」

この呼びかけではじまる「ガイアシンフォニー」というフィルムを観た。
私たちの未来にとってきわめて示唆に富むメッセージを持つ人々のオムニバス映画だ。今回観たのは第3番。
アラスカの写真家・星野道夫さんが出演者に決まっていたが、
熊に襲われて亡くなってしまったため、彼に捧げるものとなっってしまったという。
他に宇宙物理学者のフリーマン・ダイソン、古代の遠洋航海カヌーによってハワイからタヒチまで
古代の海の旅を蘇らせたナイノア・トンプソン等が出演している。
なかでも印象に残ったのは星野さんの友人である近所のおじいちゃん。
なぜか顔を見ているだけで涙がでてきてしまって、どうしようかと思った。
時々こういう方がいてはるんやなあ。

岩手は遠野の里で昔話を語ってくれた語り部のおばあちゃんがそうだった。
強力な岩手弁で、話しの内容はさっぱりわからなかったけど、
終わってからお声をかけて対面すると、もう目から勝手に涙が出てくるという状態だった。
(会話は成り立たなかったけど)

さてこのおじいちゃん、また深いことを次々と言ってくれはるんやけども、
「友人とともに喜びや悲しみの時を分かつ。人生に、他に何がいるのかね?」
この言葉をかみしめながら、アメリカでの同時多発テロを想っている。


2001年葉月編(8月)〜

電車に乗るにも物騒になってきた。見知らぬ人に背後に立たれると、なにやら気になって、
「拙者の後ろに立つな!状態」になる。(時代劇の見過ぎか)
でも、時に全く行きずりの人に救われることもあるのだ。

それは大学受験を控えた頃、私は進路で悩んでいた。
答えのない問いを繰り返していた。
暗い顔で眉間に凄まじい立て皺を寄せて。
そんななか、ある日バスに乗った。
車窓の京都御所をぼんやり見ながら、やっぱり自分の世界にどっぷり浸かっていた。と、目の前に腕が伸びてきた。
はっとして身を引くと、知らないおじさんがにこにこして私になにか見せている。
親指と人差し指でなにか摘んでいる。

「糸くずですよ」(でも、私にはなにも見えない)
「襟についてましたよ」
そういうとおじさんは「糸くず」を捨てた。

よくわからないけど「ありがとうございます・・」といった私に
「どういたしまして」
そういって彼はバスを降りていった。

「糸くず」はなかった。
はじめから確かになかったのだ。
でもこのことで、私は一瞬にして自分の世界に閉じこもったところから、
外の世界に放り出されたような気分だった。
問題が解決したわけじゃないけど、明るい気持ちになった。バスは御所を過ぎて北大路通りに入る。
大文字山が夕陽に染まって美しい。久しぶりになにかを“きれいやなあ”と思った。

2001年皐月編(5月)〜

初めてのコンサートは兵庫県のとあるお寺が会場となった。
晴れた午後、太鼓橋という橋の架かった美しい池を背景に戸外での笛を楽しんでいただこうという趣のある趣旨である。
ところが笛を奏しはじめた途端、背後の池では鯉がはね、空には鳥がやってくる。
そして寺で飼われていた3匹の孔雀が鳴き出した。孔雀の鳴き声をご存知だろうか。
その優美な姿とは裏腹に、化け猫のような獣じみたもの凄まじいものである。
実はそれらの動きに私は全然気付いておらず、あとで言われて知ったのだった。
鳥が鳴き、魚がはね・・・狙ってた通りや、ええもんやないのん?と言う私に、母は

「そんなもんやない」
・・・つまりそれはもしかして「幽玄」ではなかったというわけか。

いかに自然が反応しても幽玄な場合とそうでない場合があろう。
私の記念すべき初コンサートはこうしてユーゲンならぬホラーちっくに終わったのであった。

さて、京都の実家は金閣寺さんの参道沿いで、
この時期ともなれば修学旅行の学生さん達で地元民がバスに乗りきれなくなってしまう。
いかにも都なのだがそこは京都のこと、自転車で15分も走れば山の中に入ってしまう。
なかでも「沢池」という人工の湖を山頂に頂く山がある。割合に大きなもので一周すればちょっとかかる。
池の端に下りる道は一カ所しかなく、周りは森だ。
うっそうとした森を抜けると湖の上空だけぽかんと空が広がっているのだ。
辺りには民家もなく、時代劇の撮影でも使われている様で、
先日もここで物思いに耽るちょんまげ姿の藤田まことをテレビでみたばかりだ。

5月晴れのある日、母と弟とその沢池に出掛けた。登山口に車を置いて山道を登ること約30分、湖が見えてきた。
それと共に見慣れない小さな祠がたっているのに気付いた。

「こんなん、あったっけ?」ひょいと中を覗き込む。

粗末な祠の建材は黒く変色して、隙間からは昼下がりのやわらかな陽が漏れ込む。
その薄暗い中にぼんやりと照らし出されたものは、何体もの狐の像。
そう、それは灰色の石でできた、子供の背丈ほどもあるお稲荷さんであった。
祠の入り口を南として、そろって西にお顔を向けた格好で東側に並んでいた。
うららかな日中、異様に静かな山頂の人工湖、祠の中のお稲荷さんの列。

「映画のセットかな・・・」弟が呟いた。

湖には先客がひとり。迷彩服を着て、たきびをしながら迷彩色のテントを張っている。マニアだ。まあいい。
通り過ぎよう。お稲荷さんよりいい。
私達は池の入り口からぐるっと歩いてちょうど半分のところで休むことにした。
後ろは背の高い草が一面に生えていて、その先は暗い森になっている。私は笛を取り出した。
周りを森に囲まれたこの場所は遠音がさす。
音が動きのない鏡のような水面を走って、遠くへ遠くへと吸い込まれていく。
はるかに余韻が返ってくるのに耳を澄ます。

「やめて!」
突然母が短く叫んだ。

なんや?振り返るとえらい怖い顔した母と弟が私をみつめている。

「笛、やめてっ」(お客さんでもそんな怖い顔せえへんのに)

気を悪くした私はさっさと笛を片づけると一人歩き出した。
二人が何か言いながら追いかけてくるがお構いなしに引き離していく。

傾きかけてた太陽がストンと落ちた。先ほどのマニア君は夕食の準備を終えてハーモニカを吹いていた。
彼を後目にようやく湖の入り口に着いたとき、辺りはすっかり闇に包まれていた。
そして道の先は黒々とした森へと消えている。

なんや気味悪いな・・・」

ちらと振り返ると母と弟はまだずいぶん後方のようだ。ここまできて待つのも格好わるい。
しかし一歩森へ足を踏み入れた私は自分の足さえ見えない闇に動けなくなってしまった。
闇は生き物ののように有機的な息づかいで、私の身体を飲み込もうとしているようだった。
にわかに風が起こって、森がざわめいた。その瞬間踵を返した私の足は、またしても凍り付いてしまった。

なにか、いる・・・!血がどくっと音を立ててこめかみを引きつらせる。

それは、あの祠の前に立っていた。
祠の入り口は闇の中にさらに漆黒の口をぽっかりあけて、その真前にそれは立っていた。
白くぼんやり浮かび上がって微動だにせず、しかしこちらをじ・・っと見据えていた。

(・・・お稲荷!)

それは一体のお稲荷さんが表まで出てきていたのだった。
「う・・」声にならない。

なんで?さっきは中にいはったやん!?
お稲荷さんの目玉のないつり上がった目がこちらを追っているかのようで、
私は無我夢中で祠の横を走り抜けた。

(マニアくーーんっ 助けてーーー!) 

こんな時、戦闘態勢の整っている奴は頼もしい。
冗談を言ってる場合やない。やっとこせ無事に母と弟に合流。
恐る恐る私の指が示す方向に二人は目を走らせるやいなや、我々は史上最速の勢いで山を下りたのだった。
マニア君に報せるべきか否か。家に帰り着くとマニアくんが心配になってきた。
しかし戦いを望む彼にはちょうどいいんちゃうかという結論に達す。
いずれにしてもなんやったんや。

ところが母たちの言葉はさらに私を恐怖に陥れた。
あの時吹くのをやめてといったのは、笛がはじまると同時に後ろの森から
ガサガサとなにか大きな動物の移動するような音がして、笛が高まるにつれ蛇行しながらも速度を速め、
叫んだあの時はもう確実に一直線に我々に向かってきていたというのだ。


古代、笛は送葬の際に吹かれていたという。「あちら」と「こちら」を行き来する。
その道行きを笛は導くのかもしれない。


2001年卯月編(4月)

弥生の末に八丈島へ旅をする予定でした。
これではじめて道中記らしくなる!と勢いこんでいたら、インフルエンザにかかってしまい、
断念!ふて寝をしているところへ実家の弟から恒例「おとうの近況」メールが届きました。

『・・・ところで、このごろお父が夜中によくうなされているので、おかあも僕も起きておとうを起こすのですが、
おとうによると夢で家に侵入した悪漢をやっつけていたところで、せっかくのええところで起こさんといてくれと主張します。
・・うなされてる様子はとてもそんな風には見えず、ほんまに悪漢と戦っているならば父は明らかに形勢不利なのです。
このままいくと僕達は夢のなかでどうなってしまうのか。やっぱり起こそう、ということで落ち着きました。


2001年弥生編(3月)

また歯が痛い。食事のたびに磨いているのに昔から虫歯が絶えない。
小学校の時は、クラスで虫歯のない子は表彰されていたけど、
そういう子に限って全然磨いてなかったりするんや。

私は左側に八重歯があって、実はこれが長年笛を吹くのに支障をきたしていた。
唇を横にひっぱるようにして吹くものやから、八重歯の当たる部分、口の内側がえぐれてくるのだ。
吹き終わると、大抵笛の唄口に血がついている。
「まさに血のにじむような稽古・・」とか呟いてもちっとも嬉しくない。
かといって入歯になった途端音が出なくなったという演奏家の話を聞くと、
怖ろしくて抜けへんし・・と結局鋭い歯をうちに秘めたまま過ごしてきた。

先日、虫歯で歯医者に行った。なにげに先生に八重歯のことを言ったら、
「ほな(ほな、とは言わなかったかも)先を削ろか」と言われ、
え?と思うまもなく削られてしまった。舌で触ってみると滑らかな、まあるい感触・・・。痛くない・・。
笑うたびに八重歯に唇がひっかかって下りてこず、「大杉、歯ア!」と友人に指摘されることもなくなるのか!

いう訳で長年の懸念は一瞬にして吹き飛び、とても快調に笛を吹く日々です。
ただ、今度は右側にある犬歯が、下の歯と噛み合わないせいか、
だんだんと伸びてきているような気がするが・・・。歯も髪の毛のように伸びるんでしょうか。


2000年霜月編(11月)〜ケーキ

プラクティカル・ジョークというものをご存知でしょうか。
かの江戸川乱歩はそれを「冗談のいたづら」と訳し、
プラクティカル・ジョーカーたるべく実践書のような「ぺてん師と空気男」を著しています。(おもろいで) 

先日、いつも利用している西武線でのこと。車内は空いていて立っている人はいませんでした。
私の斜め向かいには、女学生が数人賑やかしくおしゃべりしていたのでしたが、
その内のひとりが膝の上に大事そうにケーキの箱を抱えています。
見るともなくその白い小さな箱を眺めながら、大学時代に近所のケーキ屋さんで、
気が遠くなるほど似合わないフリルの制服を着て、バイトしていたことなぞを思い出していました。

さて女学生達のおしゃべりは次第に声高く興じてきて、そろそろ他の乗客の視線も彼女たちに集まりだしたその時、
なんとさきほどのケーキの彼女が、膝の上でその箱をひょいっとさかさまにしたではありませんか。

あっ・・!

周りに緊張が走りました。
私は片方の眉がつり上がりましたし、となりの紳士は一瞬肩をびくつかせたようでした。
当の彼女はそれを知ってか知らずか、種あかしをするように、
今度はその白い箱を上下にくるくると回転させたり揺すったりするのでした。

そう、中身は全くの空であったのです。ケーキなぞ最初から入ってなかったのです。 
その後も女学生らのおしゃべりは続きましたが、だれも非難がましい視線を向ける者はなく、
見ず知らずの人々が他人の、しかも空想のケーキを一斉に心配したことに対するおかしさが、
かえって車内をなごやかなものに変えていました。

不思議な小さな箱。あれほど大事そうに持ち歩いて疑われないものは、他に類がないやろう。
もし大金が手に入ったら、私はケーキの箱に入れて大事に大事に持ち運ぶやろな・・・。


2000年長月編(9月)〜 トランペットおじさん

近所の祭りで「人間ジュークボックス」なるものを見た。
百円いれるとトランペットおじさんが現れ、リクエスト曲を吹いてくれるというもの。
観客は遠巻きで、そのわびしさに心覚えのある私としては捨て置けず、かくして百円を入れるなり。

ぷふぁーんという間抜けな音とともに空元気なおっさんが現れた。

「・・ちゃっきり節、お願いします」
「へいー、毎度!」

目の前で私のためだけに流れるその音色は、周りのにぎやかさに相まって妙に哀愁が漂い、
なぜか「明日のジョー」を連想させた。

聞き終えてすっかりジョーモードに入った私は、所沢の場末た感じの松葉町通り、
その名も「パインストリート(!)」を口笛を吹きながら帰路についたのだった。
俺の夏が終わっていくぜ、おっつぁんよ・・・と呟きながら。


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